手塚治虫文化賞(いそろく氏レポート)


「帯を書いた人全員に招待状が届くと思いますので、良かったら8日空けといて下さい」
みにゃもと先生にお祝いのメールをお送りしたところ、お返事にはこうあった。
ガーン!!
そりゃ行きたいさ。
でも行ってどうなる。
5月に入り、朝日新聞社から招待状と出欠連絡のハガキが届いた。

そもそも『風雲児たち』でシーボルトを見て、おタキさんを見て、「ヤバい」と思った。
おイネちゃん(あの三段ブチ抜きの)を見た時に至っては、「もう駄目だ」と思った。
僕はこんなんじゃない。
髪も目も真っ黒だ。その上チンチクリンもいいところだ。日本人らしくガニマタだ。
ドイツ語どころか英語も覚束ない(日本語もか)。
医者にはなりそこねて今後の人生は先細りなのが目に見えている。
つまり「幻滅」エーンド「夢ぶち壊し」だ。
先生の創作意欲を著しく減退させてしまっては僕だって困る。
実は、帯を書かせて頂いた時は、ご依頼も実際のやりとりも全て手紙とメールとファックスであり、先生とはお会いしたことがなかった。こちらはお写真でも「風雲児たち長屋」にUPされた某番組の動画でも拝見しているし、その上先生は漫画家には珍しく「自画像が似ている」。だが逆はない。
あーでも「生みにゃもと」が見たい。お祝いの場に居たい。
そうだ、お祝いに行くのであって僕のこたぁどーでもいいのだ。
翌日、出席にマルをつけて、ハガキを投函していた。
人事を尽くして天命を待つ(いつ尽くした)。

そのハガキには「所属」を書く欄があった。まともな仕事のない人間が困るのはこういうことである。(これは当日の名刺交換の嵐でも痛感した。つくづく肩書きを伴わない「関わり」を説明しにくい世の中だ。)
「みなもと太郎『風雲児たち』13巻帯」 と書いた。所属は「みなもと太郎」だ。文句あるか。ないな。よし。

というわけで、以下の拙文、写真共に「あくまでみにゃもと中心」であることをお断りしておく。
幸いにしてお知り合いになれた関係者の方を無断で登場させていることも。
敬称がムチャクチャだったり、興奮のあまり時として暴言が含まれることも・・・

tedukap1.jpg

当日。
招待状には、「同伴者可」とは書いていなかったので、ザ・一張羅に身を包み、一人で出かけていった。主催者である朝日新聞本社の一角にある「浜離宮朝日ホール」の小ホール。昔は新橋駅からバスだったが、今は都営大江戸線が通り、目の前に「築地市場駅」が出来たので便利だ。
会場の入口には先生に一番多くお花が届いていた。
001.JPG 002.JPG 実は最初に「お花か電報を」と先生へのお祝いメールに書いて、送り方もわからぬままになっていたのだが、沢山お花が届いていてホッとする。
受付で渡された封筒には、手塚治虫文化賞関連の朝日新聞の記事のコピー、受賞者コメントなどが載った小冊子、プログラムを印刷した紙、そして何やら小さな袋。
本日の目的はただ一つ。みにゃもと先生ですら僕が勝手に「知り合い」と思っているだけで、実質上知り合いのいないパーティ会場では、「カメラ小僧」になる以外何ができよう。
活火山さんに送って「長屋」で見てもらうのだ。
(そうさせて頂いてます(^^;)。活火山)
折角来ているんだもんね、絶対みんなにも会場の様子を見てもらいたいもんね、ウヒョヒョー、であった。
会場には受賞された4人の先生方の、それぞれカラー原画の拡大パネルと単行本が展示されていた。みにゃもと先生のはあの受賞記念カラー見開きである。おお『ホモホモ7』だ、『レ・ミゼラブル』だ。箱入り『風雲児たち』だ!!
003.JPG 開始10分前で既に受付も会場も随分と混み合っていた。矮躯の僕には見通しが悪いことこの上ない。先生はどこじゃ。会場の前半分に受賞者と来賓の席があって、どこに誰が座るか椅子に名札が置いてあるのだが先生の席が見つからず断念。
セレモニー開始時間直前、先生とニアミスするが、「初対面スルー」。
どうも後で気づいたのだが先生は、「自分の真正面に立たれない限り誰も目に入らない状態」であったらしい。先生の両目の横に、あの、馬車馬がつけている黒い布が見えた・・・。
(済みません、まあ先生に限らず、このパーティでは有名人文化人だらけで、誰も彼も「顔は一方的に知っているのに、話しかけるネタはない」相手で、もどかしい思いばかりだったのだが。)
だがそれぐらいの勢いでないとあの漫画は描けないのだと妙に納得し、写真に専念する。
そもそも、その数分後、やっとの思いで対面叶った僕の第一声が、「おめでとうごさいます」でもなく、「今日はカメラ小僧を・・・」だったのだから大馬鹿もいいところだった。
先生のお返事は、「そうですか、沢山撮って帰って下さい」ああ本当に、僕は馬鹿か。穴があったらツッコみたい(違)。
幸いというか意外というか、いらしていた息子さんお二人もカメラを持っていらっしゃらず、その後お知り合いになった工藤画伯の証言によれば、
「お父さんスピーチでヘンなこと言わないかなあ」と非常にクールであったとか。
ならば!行くぜ突貫カメラ小僧、行く手は電車道〜!!

015.JPG <プログラム>17:30〜
贈呈式:
朝日新聞社社長挨拶
来賓・選考委員紹介
来賓祝辞(手塚眞)
選考経過報告
授賞式(アトム像、目録)
受賞者記念撮影
祝賀会:
乾杯
閉会

来賓も選考委員も当然有名人だらけで、当たり前と言えば当たり前なのにすっかり失念していた(失礼)のだが、そもそもの賞の名前である手塚治虫氏の夫人悦子様とご子息手塚眞氏がまず紹介された。写真にもあるが、氷のアトム像の前の席におられた。
選考委員の中では香山リカ氏が欠席、関川夏央氏が遅れての参加だった。他の委員については既に新聞記事等で周知のことと思う。
会場の前半分に受賞者と来賓の席があり、他の招待客は後ろ半分の立食パーティ席で立ちっぱ!!
でもそのせいか、式辞や経過報告は驚くほど簡潔だった。
005.JPG 夏目房之助先生が、恐らくは「みにゃもと帯関係者」というお立場のせいか、一般席に立たれていたのが印象的だった。本来ならば来賓席にいらしてもおかしくないのだが、これも先生らしいか?

まず手塚眞氏の挨拶は、事故の後リハビリに専念していらっしゃる岡崎京子氏(大賞受賞)へのメッセージから始まった。個人的に親しくなさっていたそうで、とても熱いものだった。
みにゃもと先生への部分では、
「手塚治虫の漫画の次に好きになったのがみなもと太郎『ホモホモ7』」
「手塚キャラよりもホモホモキャラをよく真似して描いていて、それはうちの父もよく存じていた」
などなど、嬉しいお言葉ばかりだった。「正に日本の漫画文化そのもの」(だったかな)とも。

授賞式。
岡崎氏の代理として母上、妹さん弟さんが見えており、短編賞の秋月りす先生も欠席で、担当編集者M氏が代理。
新生賞のもりもと崇先生は、どう見ても実直サラリーマンという面持ち。スピーチが傑作だった。
「女の人の髪型や帯の結び方には詳しくなって、細く切ったタオルなどでアシスタントの髪の毛で遊ぶこともあるのに、このネクタイは5年ぶりぐらいに締めて、何とか結び方を憶えていた」
ところがご本人、5年振りどころか5年締め続け!ぐらいのほっそりうっそりひっそりサラリーマン風だったのだ。肩の雪崩れ具合が何とも。いい人だ。と勝手に合点。
問題はみにゃもと先生で。
何が問題って、僕がほとんどスピーチを憶えていないのだ!!(その代わり写真は撮りましたので・・・)
その前から場所取りに必死で、シャッターにタイムラグのあるデジカメに泣き、ほとんど憶えてない・・・
「人の漫画なら一晩でも二晩でもでも話せるのに、自分の漫画のことは全然喋れない」というくだりぐらいしか・・・長いスピーチだったのだが・・・(録音しとけばよかった!!工藤画伯に補足乞う!?)
あ、翌日の朝日新聞朝刊にちょっとですが載っている。あとはアサヒ・コムの動画で補って下さい。行ってたのに意味なし(沈)
(僕はその、アトム像にキスした瞬間を、ファインダー越しだったので全然わからなかった!!)
でも先生、先生はそれでいいんだと思う。
022.JPG 人を愛して自分のことは最後になったり、気がつくと何も語れないということは、逆に作品が全てだってことだから。
作品と作者の区別云々だとか、あるいは、作品以外の部分で作者が語る人もいる。だが、まずは作品が作者を語らなかったら本末転倒ではないだろうか。
そうしたタイプであろう先生の受賞ほど―もちろん僕があらためて言うまでもないことだが―、純粋に「継続」というもの、「作品そのもの」が評価されたものはないのではないかと思う。
ご本人曰くの「万年ノミネート」、いやいや当然獲るべくして満を持して与えられた「特別賞」というもの、どうかこの受賞の意味を世の中に広く知らしめたい!という気持ちで一杯だ。
発行部数全国一を誇る(らしい)朝日新聞読者がまず書店へ走ることを祈ろう。
何だっていいんじゃ、広まればさ!!。今はまずそう思って喜びたい。

ぬおう記念撮影か。
矮躯の地下生活者は、人の列柱を縫って進み出るも結局障害物のないところを求めたらご覧のような斜めの位置になってしまった。一番手前にみにゃもと先生。
ズーム版は「御真影」。

それにしてもいるわいるわ。みんな顔は知ってるんだ。だけど話しかけようがないんだ。正しく地団駄キック。
いしかわじゅん先生は勿論選考委員、顔を出されていたのが藤子不二雄A先生、後で名札を拝見して気づいたのだが桜沢エリカ先生。結局お見かけすることができなかったが(お顔を存じ上げないので)谷口ジロー先生。そして、『風雲児たち外伝 蘭学者たち』のボームさんのくだりで拝見していた呉知英先生ともとうとうお話をすぐ機会が最後までなく、残念。
後で知ったのだが、一瞬挨拶のためだけにお見えになっていたのが三谷幸喜氏。あー新撰組のこと言いたかったのに!!
そして夢枕獏先生!!何度もお見かけしたのに、名札もつけていらっしゃらず、何とお名前を思い出したのは二次会の席!!(最近、顔は憶えていても人名が出てこない・・・)そこにはもういらっしゃらなくて無念。夫婦して同じ大学の後輩であり、連れ合いに至っては同郷、私も先生の書かれた歌舞伎を拝見していたのに、もうかーんぺきにポシャ。
041.JPG とにかく混んでいるし僕自身がチビすぎて全然どうにもならなかったのだ。(少なくとも100人以上はいた)
そして何故か(といっては失礼か?)立川談志師匠。実は師匠では築地に寿司を食べに行った時にすれ違ったことがある。うーんどうも築地界隈に来ると師匠を避けては通れないようだ。次はテ○ー伊藤に期待したい。
結局混乱の中で最初に言葉を交わした方が、写真を撮っている時に見切ったご縁だったのだが、
「岡野玲子の父です」
とゆーことは、手塚治虫のご子息の岳父に当たられる方か・・・。とってもいい人だった。
困り果てていたところに通りかかって下さったのがご存じ工藤稜画伯。こちらから声をかけさせて頂いて(名札よありがとう)、図々しくも、先生にワイド版13巻にサインをお願いしようと持ってきたのにペンを忘れた僕はペンをお借りして、その時に二次会、三次会の存在を知った。(うーん、事前に報せて頂いていたら、翌日も会社休んで始発で帰ったのになあ)以後は気さくな画伯に何くれとなくお世話になってしまい大変恐縮している。「13巻バージョン」(表紙の絵入り)の名刺も頂いた。各巻バージョンのものを用意なさっていたのだ。そうそう、やっぱり18巻のモデルはメグ・ライアンだったそうだ。
画伯の紹介でリイド社の担当編集者、編集長にもお会いできた。一般の出席者は、いるだけで目立つ一部の方々(笑)を除くほとんどは、肩書きつきの名札を拝見する限りでは、出版社関係や研究者、漫画関係の団体の方だった。閑職について久しい僕にとっては久々のギラギラした空間だった。
僕「談志師匠に、「お弟子さんの漫画※読んでます」って声かけたいんだけどなァ・・・」
画伯「余り喜ばないのでは」
ということで却下(※立川志加吾『風とマンダラ』)。どうでもいいが、師匠背がデカい。
とにかく先生のサイン!ツーショット撮影!(母からの至上命令)のために、素面を通しまともに食べもせず(タダ飯タダ酒に食指が動かなくなったのは年のせいか)、結局のところ、僕は「みにゃもとストーカー」と化していた。
だって先生、瞬間移動するんだもん。
止まらないんだもん。話が切れないんだもん。
工藤画伯「先生いつもよりテンション高いな〜〜」
僕「そうですね・・・って、そうなんですかっ!?」
先生に限らず、夏目先生も誰も彼も、話しこむと長い長い!!ぜーったい、このパンピーが声なんてかけられないって。イッツグリークトゥーミー!(みにゃもと先生が話し込んでおられたという富野由悠季氏を逃したのも痛かった。)
パーティっていうのは、自分から話しかけないと絶対に駄目なんだと思い知った。
先生にサインを貰おうと持っていた13巻を抱えていて、それを自己紹介代わりに何人かの方と言葉を交わすことができた。だがやはり、自分の才能で有名になっている人たちに、自分がただそう生まれただけのことでやったことをネタにするのは何か虚しかった。そもそも「拝見してます」「ファンです」なんて言われ慣れている人たちばっかりだし。夢のような空間ではあったが、「実力」でここにいるわけではないという一点がある限り。
053.JPG 仲の良い息子さんたちも、
「お父さんはあっちの方にぃ・・・」
とゆるやかに把握なさっておられた。
やっと、やっと、小冊子の先生のページにサインを頂き(他の方がお願いしていたのでお相伴にあずかった。)、13巻2冊へのサインは二次会以後に持ち越すことにした。やっとこの時に「おめでとうございます」と言えたのかどうか、記憶にない。生みにゃもとだ!生左利きだ!
この日に散髪屋へGO!という勇気ある行動によって、先生のヘアスタイルはさっぱりすっきりはっきりの短髪。(「当日散髪」は余儀なくされることが多いがこれはギャンブルである。でも成功!)
だからとにかく混んでいるんだって。先生フットワーク軽すぎるんだって。
あれだけのパーティで話す相手が溢れ返っているって、どうよ!
如何に先生の受賞が待ち望まれていたかということでもあろう。
「先生の人望」、「先生の人脈」
を目の当たりにした。これに尽きる。

068.JPG 二次会へ移動(徒歩)。お開きの声があってからもうだうだしていたら、先生はとっくのとお〜に向かわれていた。
銀座東武ホテル、「龍田」の間にて。
予想もしなかった(失礼礼礼礼!!)豪華な会場は、少年画報社・リイド社共催、もりもと崇先生・みなもと太郎先生(表記は案内書通り)合同祝賀会。
19:45に少し遅れて着くと既に挨拶が始まっていた。
授賞式の8割方はそのまま流れていただろうか、やっぱり混雑した会場に不安が募る。
せ、先生が捕捉不可能です。艦長!コーンオブサイレンスです!(古)
カメラ小僧望むところだ。
授賞式よりは幾分くだけた雰囲気で、挨拶に立たれた方々の笑顔も声も弾んでいた。
何より嬉しかったのは、ここからは活火山様をはじめこの「長屋」の方々も一部参加なさっていて、ミニオフ会のようになったことだ。
僕自身は「オフ会」というものは初めてだったのだが、HNを名乗れば皆知己であった(と、思う)。詳しくは三次会!にて。
ここでも何度も先生にスルーされ(周囲の人は気づいているんだけどなあ)、尺八の演奏の頃に申し訳なくもツーショット撮影に成功(シャッターを押して下さったルキノ様有難うございました)。
また画伯にペンをお借りして、13巻にも無事サインを頂いた。
その後、や〜っと、まともに先生と、今日は本当にどうも、というまともな挨拶ができた。一体授賞式以来何時間経っていただろう。
そ〜んなことをしていたら、先生に司会者のところへ連れて行かれ、スピーチをすることに。
(以下数分間記憶途切れる)
↑生涯初のスピーチだったもので(お耳汚しご容赦を)

三次会のお店まで移動。車中で、KOBIYASHI氏とは勝手に盛り上がってしまって恐縮。「もりもと先生サイド(の関係者)がちょっと少なかったね」という話になった。聞けばまだお若い方とのこと。今後の活躍にますます期待ということで(あくまでみにゃもとサイドで進んでます、ご容赦を)。
新宿南口のお店では更にくだけまくって盛り上がる。先生いつの間にか普段着。
こちらにも夏目先生呉先生高信太郎先生を初め、みにゃもと組はほぼ参加。
075.JPG 書き忘れていたが授賞式からずーっと参加の、京都の「竜馬会」会長様などなどと(紋付袴&二本差しの気合十分なお姿!)盛り上がる。何とこの三次会に至ってやっとビールに口をつけた。
電車のあるうちに、と先生にもさよならのご挨拶をした後に「長屋」のテーブルにも挨拶に・・・
(以後捕捉される)
いかにして『風雲児たち』を世に知らしめるか!!を熱く語る大家と店子。
書店の縦割りの硬直、図書館の杓子定規。結局は受賞したのよ!!という誇りであり天を突く拳であり(何のこっちゃ)、落花狼藉、じゃなかった、百家争鳴改革開放。
時計の針は速攻回る。
尽きないよ。終わらないよ。寝ないよ。
日付変わったよ。始発までお店にいていいらしいよ。
ちなみに、授賞式受付でもらった袋の中の小さなもの、それは、「手塚治虫文化賞記念ピンバッヂ」で、「今年のデザインはブラック・ジャックです」という司会の声に、一人で「らっきっ♪」とガッツポーズをして、初めて見た。「第8回手塚治虫文化賞記念」と書いた台紙に、ピンバッヂ。この場で長屋の方々に披露。個人的にもBJはとても好きな作品なので嬉しい。
ようやくみにゃもと先生も長屋テーブルにご来臨、語らう。リイド社担当編集者I氏も交えてイロイロと(まだネタバレできないこともあり?)話が進む。
080.JPG 残念なことに、とっくに終電もなくなりはしたが、始発まで待つことはできず、無念のタクシー帰宅。
わざわざ先生をはじめ皆様にお見送り頂いてしまって申し訳ない。
外は梅雨。

僕の家まではちょっとした下町めぐりなのだが、何と、乗ったタクシーの運転手さんまでが歴史に詳しく、新大橋通りに入ると名所解説までしてくれた。
清澄白河から住吉の辺りでは、「このあたりに芭蕉と曾良がいた」とか、菊川と住吉の間では、何と、鬼平と遠山金四郎の邸があったという石碑まで教えてもらった(新大橋通り沿いにあるので車からも見える)。この二人がお隣さんだったなんて知らなかった!
ああ、なのに、なのに、そんな彼に、財布はチップ不能のギリギリチョップ。
「寝ちゃっていいからね」と電話しておいた連れ合いは本当に寝ていた。
なかなか寝付けなくてズタボロで目を覚ますと、朝食が出来ていた。
やはり緊張していたのだろうか、全身が筋肉痛になっていた。

皆様初めてお会いしましたがお世話になりました。この場にて厚く御礼申し上げます。m(__)m

tedukap2.jpg tedukap3.jpg アサヒ・コム授賞式動画


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