渡辺崋山を訪ねる

渡辺活火山

 

私のペンネームの元になっている「渡辺崋山」。

東海地方に生まれた者として、彼を誇りに感じていると共に、いずれは彼の故郷を訪ねて見たいと思っていました。(もっとも崋山が生まれたのは江戸麹町の田原藩上屋敷、田原町は自害した最後の地ですが。)

 

崋山について「風雲児たち」読者の皆さんには説明は要らないと思いますが、改めて書くと、

寛政5年(1793年)9月16日、父・定通(29歳)、母・栄(22歳)の長男として誕生。通名、登(「のぼる」「のぼり」とも呼ばれていたようです。)

家老職の家柄にもかかわらず、貧困にあえいでいた渡辺家の家計を助ける為、早くから藩の仕事に出ながら絵の修行をしました。(田原藩自体が貧乏だったのはご存知の通り。)

彼の幼いころのエピソード(12歳のとき、とされています)、備前岡山藩三十五万石大名行列を邪魔して暴行を受け、人の不平等を感じた、とあります。地元(田原町)では、父の薬を買いに行って、とありますが、「風雲児たち」では皆さんご承知の通り「腹が減って」となっています。私はたぶん後者が正解なんじゃないかと思います。(やっぱり、風雲児フリークですから。)

このときの姿が「立志像」になって田原町博物館に展示されています。

 

さて、その後メキメキと絵の才能を伸ばして行く崋山ですが、「風雲児たち」に出てきた紹介魔「高橋文平」の名は、私が貰ってきた資料の中にはありませんでした。やっぱりケチらずに博物館発行の崋山本を買うべきだったかも。後の祭りですね。

その博物館には、有名な「一掃百態図」や「紙本墨書自筆獄延素描」などのコピー色紙なども販売していました。これも欲しかったのですが、結局買いませんでした。予、予算が・・・。

 

その後、藩政改革など行いながら「高野長英」「小関三英」「江川太郎左衛門英竜」などと交流を深め(尚歯会)、後の大飢饉にも餓死者を出さなかったことで、当時唯一幕府から表彰されています。(天保9年、1838年)

 

そして、例の「モリソン号」事件に端を発した「蛮社の獄」により、江戸から田原藩池ノ原屋敷に在所蟄居させられ(天保11年、1840年)、絵の弟子「福田半香」が江戸で行った崋山絵展覧が旧体制派の怒りを買い、幽閉屋敷隣にある機織小屋で自刃します(天保12年、1841年10月11日)。

ちなみに、「福田半香」は自らの行いにより師を自害に追いやった事を自責し、自分の死後に墓碑を立てるな、と遺言しています。

 

ゴールデンウィーク中の4月29日、今にも雨が落ちてきそうな空模様の中、三重県四日市の自宅を午前9時に、家族総出で田原に向かって出発しました。

同じ東海地方と言っても、田原町をもう少し行き過ぎるとそこはもう静岡県です。結果から先に言うと、往復約300Kmの道のりでした。

 

田原町の崋山墓所に着いたのは、午前11時45分。すでに小雨が落ちてきていました。

墓所は、「城宝寺」と言う浄土宗のお寺にあります。

敷地には5つの墓石があり、中央に崋山の墓、左に奥さんのたかさん(和田伝の娘)、右にお母さんの栄さん、さらにその外側に崋山の次男、小華さん(名を諧「かのう」と言います。後に画家になっています。)とその奥さんが眠っていました。(お父さんの墓はどうしたんだろう?。葬られたのは江戸の菩提寺の方でしょうね、たぶん。)

突然たずねたにもかかわらず、色々と教えてくださった城宝寺お庫裏さんに、この場をお借りしてお礼申し上げます。(子供たちにお菓子まで下さったのに、お布施も出さなかったので本当に申し訳ありません。)

 

次にたずねたのが、崋山幽閉の地「池ノ原屋敷」です。

今は公園として整備されていて、「風雲児たち」にもあったように屋敷が復元されており、屋敷前には崋山像がデデ〜ンと建立されています。そして自刃した機織小屋の中には簡単な祭壇が作ってありました。この祭壇の場所に崋山の亡骸を入れた壺が、検視役人が江戸から来るまでの24日間、置かれていたのです。う〜〜ん、なんとも感慨深いものがありますね。

出来るだけ、カメラアングルを漫画のコマに合わせたつもりですが、少々角度がきつかったかも。

 

公園を後にして、訪れたのが田原町博物館です。ここは田原城跡に立てられた博物館で、石垣の階段を上って入り口まで行くと言う、中々風情のある施設です。

敷地の広さから言って「風雲児たち」で書かれていた通り、名古屋城とは比べ様もない規模の城です。並べて書くと名古屋城がコマに入りきらないのを実感しました。

この博物館には、崋山の作品が実物、複製ともに多数展示されていました。私は博物館のような施設に入っても、ものの30分ほどしか見ないのですが(時間が持たないのです)、さすがにここではかなりの時間を費やしました。そしてどれもよく頭に入ってくるのです。これも「風雲児たち」のおかげですね。

さて、博物館のすぐ横には「崋山会館」と言う建物があるのを事前に調べてあった私は、何が展示してあるのか期待していました。

実際には、博物館と繋がっていて同じ施設内と言っても差し支えない崋山会館ですが、なんと結婚式場でした。結局、崋山関係の展示物は何もありません。要は、崋山を祭っている崋山神社の社務所兼事務所兼式場、と言うことでしょう。でもパンフによると、命日の10月11日に神社で「崋山大祭」行われるそうです。

 

そのあたりから、興味のあまりない子供たちが急かすので、しぶしぶ博物館及び会館を後にして帰路に着きました。

結構なハードスケジュールでしたが、田原まで行って本当に良かった、と感じた小旅行でした。

 

崋山先生、貴方の偉大さが改めて感じ取れました。

と、同時に読まなければ知る事がなかった私の無知を、「風雲児たち」が救ってくれたのです。

本当に壮大な書です、「風雲児たち」は。

 

尚、掲載した写真の一部(崋山肖像、七文字遺書、立志像の写真)は博物館内展示物の為、カメラに収めることが出来ませんでした。したがって戴いたパンフレットより転載させていただきました。

 

田原町博物館

開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後430分まで)

休館日  毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)・年末年始(1228日〜14日)

http://www.taharamuseum.gr.jp/